2011.3.11
被災しました。
なんでもない金曜日だったはずが、2時46分の地震発生の瞬間に全てが変わってしまいました。東北地方太平洋沖地震と名付けられた1000年に一度と言われる巨大な災害に、よもや自分が遭遇してしまうとは思ってもみませんでした。
地震発生の瞬間の出来事とか、詳細な事柄については、今後落ち着いてから少しづつ書いていければと思います。とりあえず近況報告。
地震発生の翌朝には、仙台市内各所でガソリンスタンドに並ぶ長蛇の列が。いま思えば、この時に列に並んで少しでも給油していれば...とも思いますが、この無意味な争奪戦に参加しない事を選択した決断も正しかったと思っています。なるべく早くに被災地への燃料供給が行われる事を願っています。
チビを2人抱えた身なので、嫁の実家に身を寄せています。そうしないと水の補給や食料買い出しに動き回る事ができませんし、家族揃っていた方が有事の時には安心です。
とりあえずお米は買い置きがあったので、ガスコンロを使用して鍋でご飯を。こんな時も、年長者の経験と知恵に助けられます。
冷凍食品は天日に当てて解凍しておきます。晩ご飯の時には食べごろでした。
食料品や飲料水を求めて、ショッピングセンターにも長蛇の列が出来ておりました。1人10点までの制限付きですが...
電気が使えない為、夜はロウソクで灯りをとりました。Twitterでもご指摘頂きましたが、震災時にロウソクを使用する事は極めて危険で、二次災害を誘発する可能性があります。この場はすぐに気が付いて鍋の中にロウソクを入れ、フタをすぐそばに置いて使用する事にしました。余震がきたらフタを閉めて消火するわけです。
とにかく電気がないと暖房も使用できず、とても寒い一夜を過ごしました。
その翌日から、町内にある小学校で給水が開始され、すぐに長い列が出来ていました。
幸いにも仙台市内はブロック塀が倒れたり、ガラスが割れたり家の中がグチャグチャになったりといった被害はあったものの、建物の倒壊などの大きな被害はありませんでした。
海から離れた立地の泉区に住んでいた事が、本当に幸いしています。津波の被害に遭われた沿岸部の方々には、心からのお悔やみと一日も早い復興を願って止みません。
水筒の水をとても美味しそうに飲む親子の笑顔がとても印象的でした。
七輪に火を起こして、お庭で炊き出しをしました。買い置きしてある食料も底を尽きそうですので、また食料の確保などに動き回らなければなくなりそうです。その前にガソリンの確保も急務ではありますが...
今はお休み気分で庭でミニカーなど並べている長男も、今日は表は雪景色となり、狭い室内でそろそろストレスが溜まってきている様子です。子どもたちの心のケアも必要ですよね。
明日からは職場へ復帰するよう指示も出されましたので、一歩一歩復興へ向けて前に進み出します。
東北魂を見てて下さい!
私は、シカゴにのおり、家族が仙台、福島に住んでいるので、歯がゆい思いをしています。
ReplyDeleteどこぞの、偉い人が日本は貧困になるような事をいってますが、とんでもない!私はアメリカでたくさんの国の方々と友達になりましたが、日本人はその中でも、とても周りを思いやる事のできる、すばらしい考えを根底に持っています。これさえあれば、心も、経済的にも貧困にはなりません。どこぞの偉い人は、日本人の底力を知りませんね。東北魂の凄いところを見せてやりましょう! 応援してます。