あれからちょうど1ヶ月目の朝を迎えた。
多少陽の出の時間が早くなってはいるが、あの日と変わる事なく太陽は昇り続けている。
自分の生活はと言えば、ライフラインは全て復旧して、ガソリンスタンドでの給油もようやく容易となってきており、ここ数日の身の回りは震災前とそう変わらないレベルにまで落ち着いてきている印象だ。
しかしながら、忘れてはならない。自分が住む仙台市内でも未だにライフラインの復旧もかなわず、厳しい避難所生活を強いられている方々が大勢いらっしゃる事を。自宅から車で20分も走れば、そこには津波によってもたらされた激甚な被害の様相が、今もそのままの形で残されている事を。
仕事柄、震災後はあちこちに足を運んでおり、至る所に残された爪痕を見て来た。特に名取市閖上の惨状と、石巻市の壊滅的な被害の状況には、ただ言葉も無く立ち尽くすだけの自分の無力さに、腹の底から込み上げる苛立ちを感じている。
▼名取市閖上地区の現状(2011.4.6撮影)
▼石巻市中央2丁目・門脇町・南浜町の現状(2011.4.7撮影)
311 Japan Earthquake and Tsunami - a set on Flickrそんな中で、閖上の大きなお寺の側で見た光景に心を揺さぶられた。
寺院に隣接した墓地。お墓の石は津波によって薙ぎ倒されてしまっていて、どこが誰のお墓なのか分からない有様。そこに真っ直ぐに立った墓石がひとつあり、墓前には一輪の菊が手向けられていた。
そういえば、震災から10日後くらいに、お彼岸を迎えていたのだった。きっと、この菊は彼岸花として供えられたものだろう。
このお墓の守り主は、自身の過酷な運命の最中においても、ご先祖への供養を欠かす事なく、墓石を必死で探して元通りに建てたのだろうか。
避難所での生活では、生花などたった一輪でも手に入れるのは容易ではなかった筈。そこには、前に進もうという強い意志を感じずにはいられませんでした。
時間は止まってなどいなかった。一歩一歩、前へと進んでいるのだ。