夕方、子供たちと散歩に。
風邪気味の2人を妻が気遣い、厚手の上着を着せる。
外に出ると、すこし暖かい風が吹いていた。
タンポポの綿毛を見つけた長男が、妹に「ふ〜ふ〜」するよう促す。
何も知らない我が家の姫君は、大きく口を開けてパクリと...
笑い転げる兄。べ〜っと舌を出す妹。
はしゃぎだしたらとまらない。
厚着の2人は、すぐに汗ばむ。
日が沈んだら気温が下がる。風邪をこじらせてはかわいそう。
「そろそろ帰ろう」と声をかけても、2人の耳には届かない。
5月16日。もう、すぐそこに夏が来ている。
だから「またあしたね」
2010/05/10
2010/05/06
魂を揺さぶる『井上雄彦 最後のマンガ展 仙台版』!!
定禅寺通り
200本近いケヤキ並木が、昔は参道だった通りの両脇と中央分離帯の両脇に植栽された「杜の都」と詠われる仙台市でも最も趣きのある通りだ。
毎年、12月初旬から大晦日までの間は、ケヤキをイルミネーションが覆い尽くす「SENDAI光のページェント」が開催され、秋には「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」で賑わいを見せる。
ケヤキの若葉が揚々と生い茂る初夏。
2010年ゴールデンウィークの5月3日から6月13日まで、そんな定禅寺通りにある「せんだいメディアテーク」にて、
『井上雄彦 最後のマンガ展 最終重版 仙台版』が開催されている。
チケットは前売りと当日販売とがあり、当然のごとく事前にチケットを予約。
5月6日午後12時からの展示を拝観して来ました。
▼定禅寺通り中央に設置されたイラストパネルが、拝観者を出迎える。
▼右手に見えてくる建物が「せんだいメディアテーク」
▼近づくほどに、その大きさを実感する。
▼たけしゃんがそこにいた。
▼武蔵とおつう
ひとしきり屋外展示のパネルに圧倒された後、会場へと足を向ける。
ここにも大きなタペストリーが迎えてくれる。
ここから先はもちろん撮影禁止。
展示の内容も具体的に記すような野暮な事はいたしませんが、概略と感想を以下に。
(これから行かれる予定の方は、予備知識無しの方が楽しめますので、以下はご覧になりませんように...)
宮本武蔵の最期。を、風木という新キャラクターを軸に据えて描き出されており、展示全体がひとつのストーリーに沿って進んでいきます。死の淵に立った武蔵が、自分の魂(のようなもの 大きな光の塊)に刺さった棘を自分が打ち倒した者達の亡霊と共に抜き取っていく様が描かれます。そして、父。最期の棘は、母親によって... そのとき、武蔵の手から木刀が滑り落ちます。
剣を置いた武蔵は、幼少の頃の「たけぞう」に還り、砂浜を小次郎と共に(見ている私たちも一緒に砂浜を!)歩いて行き、私たちの視界から姿を消してしまいます。
連載では多くを語られない、親子の関係。
それが、最期の武蔵に安らぎを与えるものとして表現されており、必死に涙をこらえていたのですが、武蔵と母との「つながり」の場面で一気にこぼれ落ち、止まらなくなってしまいました。
「本当の強さとは?」「やわらかさと、あたたかさ」「自分が強くなるまで、それはただの言葉」
それはまさに魂の洗濯とでも言えば良いのか?拝観後、脱力感とともにやってくる充足感。なんとも清々しくて温かい気持ちで心が満たされていました!!ふと気付けば、入館から2時間が経過していました。
▼なかなか文字にするのは難しいので、上野・大阪・熊本のみなさんの声をお聞き下さい!!
こんなマンガ展が、今回で最期だなんて...
これだけの展示を創作するのは、とてつもないエネルギーを要する事だと思うのですが、井上雄彦先生には是非、何度でも重版を重ねていただきたいと願わざるを得ません!!
▼拝観後、1階のカフェにも「たけぞう」が。
そろそろ帰ろうかと思っているところへ、女性スタッフの方(とても奇麗な方でした)から声を掛けていただき、携帯電話等から投稿された感想を、カフェのイラストパネルへプロジェクターで映写しているとの事で、それが間もなく始まるとの情報を教えてもらいました!
カフェは東側がガラス張りになっているため、太陽が昇り切った午後の時間帯しか映写できないのでしょう。ちょうど2時30分頃に映写が始まりました!!
▼みんなの投稿を映写中。
せっかくなので、カフェでお茶をしながらしばらくの間iPhoneでTwitterにつぶやいていたのですが、ふと顔を上げてびっくり!私のTwitterで使用している「地味変アイコン」が写っているではありませんか!!調べてみたら、会場に掲示されているQRコードからの投稿の他にも、Twitterからの感想の投稿も反映されるとの事!しかもハッシュタグなど付けずに普通にTweetしてもしっかり拾われておりました!!
▼ジミヘンと武蔵
▼カフェではこんな粋な物も...
今日で私の2010年ゴールデンウィークは最終日なのですが、最後に本当に貴重な体験をする事ができました。思ったより仙台は井上雄彦熱が高くないのか?平日という事もあるのでしょうが、混雑するような事も無く、ゆっくりと鑑賞する事ができましたので、上野・大阪・熊本でご覧になった方ももう一度、まだの方は宮城県内・東北のみならず、関東の方などもいらっしゃってみてはいかがでしょうか!?
バガボンド 33 (モーニングKC)
200本近いケヤキ並木が、昔は参道だった通りの両脇と中央分離帯の両脇に植栽された「杜の都」と詠われる仙台市でも最も趣きのある通りだ。
毎年、12月初旬から大晦日までの間は、ケヤキをイルミネーションが覆い尽くす「SENDAI光のページェント」が開催され、秋には「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」で賑わいを見せる。
ケヤキの若葉が揚々と生い茂る初夏。
2010年ゴールデンウィークの5月3日から6月13日まで、そんな定禅寺通りにある「せんだいメディアテーク」にて、
『井上雄彦 最後のマンガ展 最終重版 仙台版』が開催されている。
チケットは前売りと当日販売とがあり、当然のごとく事前にチケットを予約。
5月6日午後12時からの展示を拝観して来ました。
▼定禅寺通り中央に設置されたイラストパネルが、拝観者を出迎える。
▼右手に見えてくる建物が「せんだいメディアテーク」
▼近づくほどに、その大きさを実感する。
▼たけしゃんがそこにいた。
▼武蔵とおつう
ひとしきり屋外展示のパネルに圧倒された後、会場へと足を向ける。
ここにも大きなタペストリーが迎えてくれる。
ここから先はもちろん撮影禁止。
展示の内容も具体的に記すような野暮な事はいたしませんが、概略と感想を以下に。
(これから行かれる予定の方は、予備知識無しの方が楽しめますので、以下はご覧になりませんように...)
宮本武蔵の最期。を、風木という新キャラクターを軸に据えて描き出されており、展示全体がひとつのストーリーに沿って進んでいきます。死の淵に立った武蔵が、自分の魂(のようなもの 大きな光の塊)に刺さった棘を自分が打ち倒した者達の亡霊と共に抜き取っていく様が描かれます。そして、父。最期の棘は、母親によって... そのとき、武蔵の手から木刀が滑り落ちます。
剣を置いた武蔵は、幼少の頃の「たけぞう」に還り、砂浜を小次郎と共に(見ている私たちも一緒に砂浜を!)歩いて行き、私たちの視界から姿を消してしまいます。
連載では多くを語られない、親子の関係。
それが、最期の武蔵に安らぎを与えるものとして表現されており、必死に涙をこらえていたのですが、武蔵と母との「つながり」の場面で一気にこぼれ落ち、止まらなくなってしまいました。
「本当の強さとは?」「やわらかさと、あたたかさ」「自分が強くなるまで、それはただの言葉」
それはまさに魂の洗濯とでも言えば良いのか?拝観後、脱力感とともにやってくる充足感。なんとも清々しくて温かい気持ちで心が満たされていました!!ふと気付けば、入館から2時間が経過していました。
▼なかなか文字にするのは難しいので、上野・大阪・熊本のみなさんの声をお聞き下さい!!
こんなマンガ展が、今回で最期だなんて...
これだけの展示を創作するのは、とてつもないエネルギーを要する事だと思うのですが、井上雄彦先生には是非、何度でも重版を重ねていただきたいと願わざるを得ません!!
▼拝観後、1階のカフェにも「たけぞう」が。
そろそろ帰ろうかと思っているところへ、女性スタッフの方(とても奇麗な方でした)から声を掛けていただき、携帯電話等から投稿された感想を、カフェのイラストパネルへプロジェクターで映写しているとの事で、それが間もなく始まるとの情報を教えてもらいました!
カフェは東側がガラス張りになっているため、太陽が昇り切った午後の時間帯しか映写できないのでしょう。ちょうど2時30分頃に映写が始まりました!!
▼みんなの投稿を映写中。
せっかくなので、カフェでお茶をしながらしばらくの間iPhoneでTwitterにつぶやいていたのですが、ふと顔を上げてびっくり!私のTwitterで使用している「地味変アイコン」が写っているではありませんか!!調べてみたら、会場に掲示されているQRコードからの投稿の他にも、Twitterからの感想の投稿も反映されるとの事!しかもハッシュタグなど付けずに普通にTweetしてもしっかり拾われておりました!!
▼ジミヘンと武蔵
▼カフェではこんな粋な物も...
今日で私の2010年ゴールデンウィークは最終日なのですが、最後に本当に貴重な体験をする事ができました。思ったより仙台は井上雄彦熱が高くないのか?平日という事もあるのでしょうが、混雑するような事も無く、ゆっくりと鑑賞する事ができましたので、上野・大阪・熊本でご覧になった方ももう一度、まだの方は宮城県内・東北のみならず、関東の方などもいらっしゃってみてはいかがでしょうか!?
バガボンド 33 (モーニングKC)
2010/05/01
神になった日
1994年5月1日 現地時間午後2時17分。
第3戦サンマリノGPの行われたイモラ・サーキット。超高速・左コーナー「タンブレロ」において、時速312kmで走行中に突如マシン・コントロールを失い、そのまま直進してコースアウト。コース右脇のコンクリートウォールに激突し、「音速の貴公子」が駆るマシン、ウィリアムズ・ルノーのFW16は大破した。
ドライバーは蘇生処置を施されつつヘリコプターでイタリア・ボローニャ市内のセント・マジョーレ病院に搬送されるも、それから約4時間後の午後6時40分にこの世を去った。
今からちょうど16年前の今日。時間も今時分だった。
当時、流通業界で働いていた私は、毎月末恒例の棚卸し作業を終え、深夜の帰宅後に楽しみにしていたF1中継にテレビのチャンネルを合わせた。そこには、お目当ての史上最速ドライバーの勇姿は無く、かなり重大なクラッシュがあった事だけが実況アナウンサーのコメントから推測された。
しばらくしてニュース速報のテロップ。とても信じられない情報が映し出される。
そして、レースの録画中継から画面が一転。その情報が、紛れもない真実である事を伝えた。
あれから16年。現在の職場に籍を移してからは、車での移動が1日の大半を占めるという事もしばしばで、1日の移動距離が最大で997kmに及んだ事もある。ともすれば、スピード超過は当たり前で少々荒っぽい運転になりがちな毎日を送っている。
昨年末には、週に3回の違反切符を切られ、免停講習を受けたばかりなのに、気付けば今日も違反スレスレの運転を繰り返している。
モーター・スポーツと一般車両の運転では、もちろん比較の対象にはならないが、ハンドルを握る以上は自分の命を危険に晒している事を、まして周りの人間をも危険に晒している事を、ふとしたきっかけで思い出した彼の死によって、16年後の今日、再認識する事ができた。
偉大なるF1ドライバーの最後を告げる中継の最後で、解説の今宮純氏がこう語っている。
「今日は彼が本当に神になった日」だと。
私は残念ながら、死を迎えた後に「神」になる事はない。ただ屍となるだけだ。
だから今を大切に、この命を大切にしなければならない。
たった今、アイルトン・セナという名の神が、私にそう語り掛けてくれているのだ。
第3戦サンマリノGPの行われたイモラ・サーキット。超高速・左コーナー「タンブレロ」において、時速312kmで走行中に突如マシン・コントロールを失い、そのまま直進してコースアウト。コース右脇のコンクリートウォールに激突し、「音速の貴公子」が駆るマシン、ウィリアムズ・ルノーのFW16は大破した。
ドライバーは蘇生処置を施されつつヘリコプターでイタリア・ボローニャ市内のセント・マジョーレ病院に搬送されるも、それから約4時間後の午後6時40分にこの世を去った。
今からちょうど16年前の今日。時間も今時分だった。
当時、流通業界で働いていた私は、毎月末恒例の棚卸し作業を終え、深夜の帰宅後に楽しみにしていたF1中継にテレビのチャンネルを合わせた。そこには、お目当ての史上最速ドライバーの勇姿は無く、かなり重大なクラッシュがあった事だけが実況アナウンサーのコメントから推測された。
しばらくしてニュース速報のテロップ。とても信じられない情報が映し出される。
そして、レースの録画中継から画面が一転。その情報が、紛れもない真実である事を伝えた。
あれから16年。現在の職場に籍を移してからは、車での移動が1日の大半を占めるという事もしばしばで、1日の移動距離が最大で997kmに及んだ事もある。ともすれば、スピード超過は当たり前で少々荒っぽい運転になりがちな毎日を送っている。
昨年末には、週に3回の違反切符を切られ、免停講習を受けたばかりなのに、気付けば今日も違反スレスレの運転を繰り返している。
モーター・スポーツと一般車両の運転では、もちろん比較の対象にはならないが、ハンドルを握る以上は自分の命を危険に晒している事を、まして周りの人間をも危険に晒している事を、ふとしたきっかけで思い出した彼の死によって、16年後の今日、再認識する事ができた。
偉大なるF1ドライバーの最後を告げる中継の最後で、解説の今宮純氏がこう語っている。
「今日は彼が本当に神になった日」だと。
私は残念ながら、死を迎えた後に「神」になる事はない。ただ屍となるだけだ。
だから今を大切に、この命を大切にしなければならない。
たった今、アイルトン・セナという名の神が、私にそう語り掛けてくれているのだ。
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