1994年5月1日 現地時間午後2時17分。
第3戦サンマリノGPの行われたイモラ・サーキット。超高速・左コーナー「タンブレロ」において、時速312kmで走行中に突如マシン・コントロールを失い、そのまま直進してコースアウト。コース右脇のコンクリートウォールに激突し、「音速の貴公子」が駆るマシン、ウィリアムズ・ルノーのFW16は大破した。
ドライバーは蘇生処置を施されつつヘリコプターでイタリア・ボローニャ市内のセント・マジョーレ病院に搬送されるも、それから約4時間後の午後6時40分にこの世を去った。
今からちょうど16年前の今日。時間も今時分だった。
当時、流通業界で働いていた私は、毎月末恒例の棚卸し作業を終え、深夜の帰宅後に楽しみにしていたF1中継にテレビのチャンネルを合わせた。そこには、お目当ての史上最速ドライバーの勇姿は無く、かなり重大なクラッシュがあった事だけが実況アナウンサーのコメントから推測された。
しばらくしてニュース速報のテロップ。とても信じられない情報が映し出される。
そして、レースの録画中継から画面が一転。その情報が、紛れもない真実である事を伝えた。
あれから16年。現在の職場に籍を移してからは、車での移動が1日の大半を占めるという事もしばしばで、1日の移動距離が最大で997kmに及んだ事もある。ともすれば、スピード超過は当たり前で少々荒っぽい運転になりがちな毎日を送っている。
昨年末には、週に3回の違反切符を切られ、免停講習を受けたばかりなのに、気付けば今日も違反スレスレの運転を繰り返している。
モーター・スポーツと一般車両の運転では、もちろん比較の対象にはならないが、ハンドルを握る以上は自分の命を危険に晒している事を、まして周りの人間をも危険に晒している事を、ふとしたきっかけで思い出した彼の死によって、16年後の今日、再認識する事ができた。
偉大なるF1ドライバーの最後を告げる中継の最後で、解説の今宮純氏がこう語っている。
「今日は彼が本当に神になった日」だと。
私は残念ながら、死を迎えた後に「神」になる事はない。ただ屍となるだけだ。
だから今を大切に、この命を大切にしなければならない。
たった今、アイルトン・セナという名の神が、私にそう語り掛けてくれているのだ。
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